義経隠れ塔

義経隠れ塔 こんな所でした

義経隠れ塔に行って来ました

吉野は花見に行くところ、、
後醍醐天皇が南朝を開いた地とて無念の涙を流したところ、、
西行が世を捨てて住んだところ、、
源義経の逃避行の地、
義経と愛妾の静と別れたのもこの地です。
義経隠れ塔は金峯神社裏、うっそうとした杉林の中にありました。案内板に依ると、 愛妾の静御前は捕えられ鎌倉送り、義経は更にこの地より日本海側を巡り 逃亡を続け奥州平泉へと向かうとありました。
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話は逸れますが、、西行26歳(1143年)に奥州の旅に出かけます。義経が初めて平泉に来る30年ほど前です。
平泉では、束稲山(たばしねやま)を仰ぎ見て 「聞きもせず 束稲山の 桜花 吉野のほかに かかるべしとは」 の歌を残しました。 (吉野の桜以外に、これほど桜の花で山が埋め尽くされている所があるとは、)
束稲山には、当時安倍頼時が一万本のヤマザクラを植えたとされていました。
吉野山に3万本。束稲山に1万本からこの風景を見て歌ったのでしょう。 現在の平泉の束稲山には桜は殆んど無く、毎年頑張って植栽に励んでいます。ハイ。
吉野と平泉。源義経、西行、芭蕉の御三方の浅からぬ御縁を感じました。
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