吉野山では遅咲きの桜を含めると1ケ月間下千本から奥千本まで楽しむ事が出来ます

吉野山エリア 吉野山と言えば日本屈指の桜の名所

吉野山と言えば、日本屈指の桜の名所で知られています。
1594年豊臣秀吉が吉野山で配下の武将5000人を引き連れて花見の宴を楽しんだのは有名な話です。
吉野山は標高約230m~750m。下から標高順に「下千本」「中千本」「上千本」「奥千本」の四つの区域に分かれています。
御承知の通り桜の開花の時期は気温が高くなるにつれ開花が進みます。吉野山では遅咲きの桜を 含めると1ケ月間下千本から奥千本まで桜の花を観ることができます。 約三万本という日本一を誇る桜は例年ですと、嬉しい事に4月上旬から4月下旬まで順次お花見ができると云う事です。
全山を染める日本一の桜だそうです。

残念ながら、私が観光した時期は、とうに桜は散り、変わりに山々は緑に覆われていました。
吉野山の最奥の地、奥千本に向かいました。
平安末期、西行が幽居した場所と伝わっている「西行庵」と 朝敵として追われ吉野山へ逃れた源義経が追ってから逃れるために隠れたという「義経隠れ塔」 を是非とも見てみたいと。

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ヤマザクラ吉野山に3万本。束稲山に1万本

復元された西行庵には西行の木像が安置されていました。
桜を愛した西行法師の歌 「願わくは 花の下にて春死なん 望月の如月の頃」
は、誰もが願う、心安らかな最後の姿なのでしょうか、、 厚かましくも私もと、、そっと手を合わせました。
なお、御承知のとおり江戸時代、西行を敬慕する松尾芭蕉もこの地を訪れました。

義経隠れ塔は金峯神社裏にあります。案内板に依ると、 愛妾の静御前は捕えられ鎌倉送り、義経は更にこの地より 逃亡を続け奥州平泉へと向かいます。

西行26歳(1143年)に奥州の旅に出かけます。義経が初めて平泉に来る30年ほど前です。
平泉では、束稲山(たばしねやま)を仰ぎ見て 「聞きもせず 束稲山の 桜花 吉野のほかに かかるべしとは」 の歌を残しました。 (吉野の桜以外に、これほど桜の花で山が埋め尽くされている所があるとは、)
束稲山には、当時安倍頼時が一万本のヤマザクラを植えたとされていました。
吉野山に3万本。束稲山に1万本からこの風景を見て歌ったのでしょう。 現在の平泉の束稲山には桜は殆んど無く、毎年頑張って植栽に励んでいます。ハイ。
吉野と平泉。西行、源義経、芭蕉の御三方の浅からぬ御縁を感じました。

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